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訳者のことば

張憲文教授主編の『南京大虐殺史』という名著の日本語(yǔ)版の翻訳は、私たち三人の訳者にとって光栄であると同時(shí)に、試練でもあった。數(shù)ヶ月の苦闘の連を乗り越え、私たちはようやく最初の翻訳原稿を完成して、日本語(yǔ)専門家の掲俠、高文漢両教授に訳文校閲に提出できた。

本書の翻訳擔(dān)當(dāng)は、論と第一、二、三、四、五各章は雷國(guó)山準(zhǔn)教授、第七、八各章は葉琳教授、第六、九各章は陶友公準(zhǔn)教授であった。

翻訳執(zhí)筆中、原則として、中國(guó)語(yǔ)の人名·地名·機(jī)構(gòu)名·文獻(xiàn)名などの表現(xiàn)は中國(guó)語(yǔ)の繁體字にしているが、ただ少數(shù)の名詞の場(chǎng)合、日本語(yǔ)で相応の簡(jiǎn)化字が存しているという情に鑑み、日本語(yǔ)の漢字表現(xiàn)にしたのである。例えば、「臺(tái)灣」を「臺(tái)灣」にしているのはその一例である。葉琳教授は本書の用語(yǔ)の統(tǒng)一化に大きく貢獻(xiàn)した。

日本語(yǔ)に造詣が深い、且つ徳望が高い翻訳校閲の両専門家は、ともに六十歳を超えられているが、余暇を利用して訳文校閲をしてくださり、まことに感謝の至りであった。電話とメールのやり取りで、両校閲専門家のまじめさと苦労していらっしやる姿はよく見られ、同校閲か全書の訳質(zhì)向上には不可欠の一環(huán)だと痛感させた。

本書の原著を主編された、八十歳を超えられている張憲文教授は、翻訳執(zhí)筆のうちに、校閲専門家の選定に関心を寄せたり、私たちの健康に注意を払われたり、また出版交渉の進(jìn)展を即時(shí)に告知してくださったりしたが、私たちには翻訳執(zhí)筆を進(jìn)めていく原動(dòng)力となった。

ここにおいて、信賴してくださった張憲文教授に心より感謝を申し上げる次第である。と同時(shí)に、斧正を加えてくださった掲俠教授、高文漢教授にも深く感謝いたす。さらに、ここにおいて合わせて本書の編集擔(dān)當(dāng)者の瀋清清さん、並びに黙々とご支援、ご協(xié)力をしてくださった各面の方々にも感謝の意を表せていただきたい。

翻訳はに訳者の合的能力に対する試練であることは、本書の翻訳執(zhí)筆中にしみじみ感じた。中國(guó)語(yǔ)版の原著『南京大虐殺史』は史料に詳しい力作であって、引用されている史は中·日·米·英·獨(dú)·仏·露·伊·西各國(guó)とわが國(guó)の臺(tái)灣の公文書、新聞·雑誌、並びに同事件の目撃者·験者らの書簡(jiǎn)·日記·映像·思い出·インタビュー録から來(lái)たもので、激しく忙しい翻訳作業(yè)のうちに、同時(shí)にすべての原典史料を手に入れることは、私たち訳者には多少意余って力足らずの感があった。したがって、本書の日本語(yǔ)訳が中國(guó)語(yǔ)原版に忠であることは私たちは保証できるが、ただし研究引用の場(chǎng)合、ぜひ中國(guó)語(yǔ)原版か原始出典を確かめていただきたいことを、ここにおいて謹(jǐn)んで斷っておきたい。

本書翻訳者

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